"賢い"ということ
先日、こんなツイートを見かけた。
https://twitter.com/a_sa_me/status/1026072609492848641?s=21
以下、抜粋
「わしがツイッターを始めた頃はみんな「うんこなう」としか言わない平和な世界じゃったが最近は自分の事を賢い人間だと思い込んでる馬鹿が増えたように感じるんじゃ」
「うんこなう」は置いといて、僕は果たして"賢い"のだろうか?それとも"賢いと思い込んでる馬鹿"なのだろうか?と考えさせられた。
それを考えるためには、"賢い"という状態の定義から考えなければいけない。僕が思うに世間ではこの言葉は二つの意味合いで使われていると感じている。
その一
・思考や判断が速くかつ正確な様
その二
・様々な知識や経験を持ち合わせている様
この二つの意味をそれぞれのシチュエーションによって使い分けて会話が成立していってる様をよく見かける。
しかし、僕はこの二つの意味は本質的に同じなのではないかと思う。
そもそも素早く正確な思考や判断は豊富な知識と経験を持ち合わせている人の方が得意なはずだ。思考や判断のベースとなるものが豊富なので当たり前といえば当たり前なのだが。
では、豊富な知識と経験を持ち合わせている人が本当に賢い人なのだろうか?
僕はそうは思わない。
今の時代、一人一台のスマホ、いわば情報の塊を所持しているからだ。
みんながみんな同じ情報を集められる時代に大量の知識を脳に詰め込んだところでアドバンテージにはなりにくい。それだけで賢いと決めつけるのは早計な気がする。
そうなると、本当に賢い人というのは同じ情報を持っている時、より素早く正確な思考や判断を下せる人なのかなと僕は思う。
優秀なスペックのCPUを内蔵しているパソコンも、外付けのUSBやクラウドの記憶媒体を介して情報を入手しその情報を元に思考や判断をするので、人間だって記憶(情報)を外付けのスマホやパソコンに預けたってなんら問題はないはずだ。
しかし、この定義で"賢い人"を考えるのはめちゃくちゃ難しい。
なぜなら、いくらスマホをみんなが持っているとはいえ、完全に情報をフラットにすることは不可能だからだ。
賢いというのは数値にしにくい。あなたは賢さ100点ですね、あなたは70点ですね、みたいな感じでは決められない。なぜなら、持っている情報がフラットではないから。
だから、賢いとはめちゃくちゃ抽象的なもので、誰がその人をどう評価するかによってその人の世界では賢い人、という状況が発生する。
https://noelnonikki.hatenablog.com/entry/2018/07/30/171331
この記事でも言ってるが、僕の思考の根底には「観測できるなら観測者の世界にはそれが存在する」というものがある。
つまり、AさんがBさんを賢いなと思えばAさんの世界でのBさんは賢いし、CさんがBさんを馬鹿だなと思えば、Cさんの世界でのBさんは馬鹿なのだ。
だから僕は、より多くの世界で賢いと思われたいし、少なくとも僕が僕を賢いと思っておけば、僕の世界での僕は賢いのだ。結局僕の世界の観測者は僕だけなのだからそれは仕方がない。
このお話はものすごく抽象的なものなので、僕なりの考え方で無理矢理具体的にするとこうなるよというだけのものなので、みんなの意見も是非聞きたい。
いや、それは違うぞ!と言った反論も待ってます。
中傷はやめてね
最後にこの間食べた美味しいハンバーグの写真を載せて終わります。
うんこなう!!!!
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